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ねとげ日記(うそくさい)
Posted by - 2024.04.19,Fri
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Posted by Lita - 2006.03.05,Sun
今日は亡き祖父 四十九日の法要の日でしたとさ。
てーか昨日のハンドメイド、すっかり寝てました‥(;´Д`)
九時ぐらいにメッセ入ったんだけど、退席にしてベッドでごろごろしてたらいつのまにか朝~~~。
階段降りるのがキッツイぐらい寝ぼけて、よく味の分からないパンをつまみ、喪服を来て化粧して出発。

川越の一乗院という天台宗のお寺で、葬儀・告別式から今回の四十九日法要も執り行ってもらってるのですが、ここの住職さんは色んな事を聞かせてくれるのでなかなか退屈しないです。(退屈するなよ
主に、「死んだらどこへ行くのか」とか。四十九日は現世とのお別れの時で、それまでは、霊は家の中とかにただよっているらしいです。
あと、三途の川で衣服を剥ぎ取られるわけですが、その衣服を木にぶらさげて、どれだけ枝が垂れるかで三途の川を渡るコースが違うらしい。深く垂れれば垂れるほど、その人の生前の罪は重く、急流を渡らねばならないのだそうだ。
住職さんは「私なんかはポッキリ枝が折れるでしょうが」なんて冗談をかましてました。
その日は、天候もすごい良くて、雲ひとつない快晴。こんな日に法要を向かえるにあたっては、故人はその天気のような気分でいるのだから、泣いてはいけないとも言っていました。
こんな日は、笑って「いってらっしゃい」がいいのだそうです。

宗教・宗派によってこういった死生観というのは違ってて面白いですねー。
まあそんだけ、生きるか死ぬかに昔から人は翻弄されてきたってことでしょう。
チベットの死生観もちょこっと話にでて、「人は産まれてきたことが最大の不幸だから、死ぬ時にはむしろ”やっと向こうに帰れる”と喜ぶ」のだそうです。亡くなることはめでたい事って考えなんですねん。
なかなか興味深い。チベットの死生観は時間があったら学んでみたいかもしれない。
まあ、これも遺族が噛み締める言葉であって、生きているうちにこんな事思っちゃったら生命の重さが軽視されそうな感じもしちゃいますが。

私はずっと、こういう葬儀って故人の為ではなく、いま生きている残されたもののために行うものだと考えてましたが、まあやっぱり、故人の為なんだろうし、そう思っていたほうがいいよなっと、感じました(大変で‥w
こう、例えば殺人事件とかおこると、犯人は喪主の大変さを分かっているのかと、人ひとり殺すことがどんなに大変なことか分かっているのかと、問い詰めたい。こいちじかn(ry

‥てぇ、脱線脱線。
まあそんなこんなで‥やぱ生きてる内こそ華ッスよ!
良いことも悪いこともあるけど、人生たった80年。後悔するほどの時間すら与えられてないんだから、ややこしい事考えないでパーッと自分の人生楽しめばいいと思うさ~。
死んだらもー、現世においては、マジで、スカスカの骨しか残らないので。
そんなわけで、みなさんも生きている時間を大切に (何様

じーちゃんまた、初盆の時にこっちでワイワイするから顔だしてネ♪
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